航海~8.命と倫理のレポート、評価は「A」
より。
父の願いと残される家族・親族の思い。
それらを鑑みるに、介護・看取りは、一つとして「失敗」は許されない。一方通行の道行きですから、取返しがつかないのです。
キーパーソン・喪主の重圧は大変なものでありました。
先に「航海5」で示した通り、私は、父の死を看取り、縁を切っていた父方の親戚の列に再び連なることになった、いや父の続きの人生を生きるために、そうすることを選んだのです。
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正直、葬儀も含めて、まったく涙は出ませんでした。
そんな暇はなかった…といえば聞こえはいいのですが、”父の子”から”喪主”へ社会的な役割が変わり、縁の切れていた社会に、いわば新入社員のように、ただついていくのに必死で、徐々に溶け込んでいく過程は生まれ変わっていくようで、涙はありませんでした。
それでも社会的な種々のことを片付けながら、私は故郷を後にし、自分の戦場へ帰ってきました。
地域の介護の一翼として、リハビリとして、果たすべき役割は大きく、夫として父として家庭を守りつつ、社会人大学院生としての生活も再開しなければなりません。
経営学専攻でありながら、管理職まで務めた医療人である私の問題意識は、医療組織に関するものです。したがって、研究のテーマは「働き甲斐のある医療組織と経営トップ」といったことであります。
授業では、命や倫理に関わることも多く扱われ、そのレポート課題は簡単ではありません。
ある授業で、「安楽死」を参考文献を用いて論じることにしました。
そこで、私は父の麻薬による呼吸抑制事件のことを思い出していました。
そして、自分の考えたことが、殺●幇助に当たるのか、安楽死とされるのか、許される領域なのか、アウトなのか、向かい合わされたのです。
このレポートを書いている数日間、眠っているのか眠っていないのか定かでないような状態でした…。
また「患者参加」についての議論がありました。
ACP(アドバンストケアプランニング)の高まりを受けて、患者の意思決定をどのように尊重するべきかを問われたのです。
アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning :ACP)とは、患者さん本人と家族が、医療者や介護者と、あらかじめ、どのように生きたいか、終末期を含めた今後の医療や生活、介護について話し合い計画立案及び変更をしていくプロセスで、意思決定が出来なくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておくことを含みます。
私と父の間には、ほんの一瞬の会話があっただけです。
そこからすべてが始まった。しかも、状態はあっという間に悪化していった。話し合う時間は非常に少なかったといえます。
はたして、それでも父の意思は、貫かれたのだろうか。思いが変わる瞬間ごとの希望や揺らぎは、叶えられただろうか。父は何を残したかったのだろうか、なにも未練はなかったのか。
父は最終末、私たち家族にもっとそばにいてほしかったのではないか。
レポートを書きながら、どうすれば私の悩み・苦しみは救われるのか、考察しました。
もちろん、評価は「A」でした。
このように、父の死と自分の在り方を考察しながら、大学院の授業は進んでいきました。
続く。