航海~11.社会人大学院の活動途上…またも近親者の死。今度は事故…
航海シリーズ、半ばにして大休憩をいただいております。
実は、この社会人大学院に今年度、研究生として残り、続きをやっていたもので。
今年度の活動のメインが先日完結しましたのでやっと時間ができました。
続きを書きます。
より。
前期、父の死と喪主を体験しながら、なんとか「研究計画書」の承認を受けることができました。
教授の温かく容赦ないご指導のおかげです。
また、すべての試験・レポートを提出し、単位を取得することができました。
励ましあった仲間たちのおかげです…
後期も精力的に履修登録しました。
魅力的な講座がいっぱいで、時間の限り知識の息吹を吸収したいと思ったのです。
その中で、「研究実施計画書」の作成も始まっていました。
ざっくり方向性や狙いを承認してもらっただけの「研究計画書」とは違い、倫理審査を受けるために、実際になにをどうするかを具体的に書かねばなりません。
そして、研究はこの計画に縛られ、計画から外れたものは成果として認められないのです。
ゼミでは、研究計画に沿った数々の書物をまとめていました。
といっても、教授が「これはどうか」「つぎはこれ」と、方向性に合いそうなものを示してくれるのです。
授業も、周囲が心配するほど取りながら、なんとかゼミについて言っておりました。「毎晩大学院にいる」と称されたものです。
いえいえ土日の夜は家にいますよ…ってそういう意味じゃないですね。
順風満帆な、ある日。
仕事中に妻からLINEでトーク着信。
「お父さん事故だって
病院に呼ばれたから行ってくる」
この時は激震の始まりとは思っていませんでした。
私は行かなくていいかなと思っていたくらいでしたから。
しかし、実際には義父はこの時、すでに助からない状態だったのです。
妻からの続報で、私は仕事を切り上げて病院に向かうことになりました。
早朝の交通事故でした。
人のための用事で自転車を雨の早朝に駆った義父は、黄の点滅信号の交差点に進入したとき、赤の点滅信号(しかも停止線のある方向から)での一旦停止を無視して走ってきた来たトラックに撥ねられ、魔の悪いことに一回転して首から落ちたのです。
医師の話では一瞬で意識を失っただろうと。
そしてそれきり、目を覚ましませんでした。
財産・生活すべてを整えてきた夫を失い、途方に暮れる義母と、頼りになる父を亡くして泣き崩れる妻。
そして目の前には、罪の意識に身を震わせる、加害トラックの運転手とその社長。
私は、またも人の死を思い、弔う責任を負い、義母の生活を整える任務を帯びました。
そのために、今度は交通事故の後処理を担うことになったのです。
今度こそ、研究生活は終わるかもしれないー
恐ろしい不安に目がくらみそうでした。