TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

神からの逃走 1

「神の試練」

そもそも

世界には理不尽な事態がある。

 

快不快に関わらず…

 

 

快を理不尽とは呼ばない、おかしなことだ。

その点、東洋には「中庸」を最高の目標とする考えがある。

 

 

さて、敬虔なる民は、不快な理不尽を「神の試練」と称する。

 

虎より猛き苛政も

天変地異の大被害も

諦めて受け入れて立ち上がれるように

このような装置が考え出されたのだろう。

 

それでいいのか?

納得いくのか?

不快をねじ伏せることができるのか?

降臨

ところで

 

疫病や戦争で多くの人が死んでいくのも

 

神の試練なのか?

 

死んだものは

試練に敗れたものか?

生き延びたものは

新世界に選ばれたのか?

神の栄光は生者だけのものか?

 



”神の試練”とは

生者のための

バッファー(緩衝機構)…

栄光を楽しんでよいと。

 

それにしては

生き残った者には

死者に対する贖罪意識が時折みられる。

 

死者は生者に矛盾を突きつけに帰ってくる。

 

死者は生者と同じように、ただ一人前の人生を生きただけだ。

神の試練を待っていたわけではないし、

誰かの試練の引き立て役でもない。

そして生き残ったあなたが手を下したわけではない。

 

死者を勝手に流用しないでほしい。

 

贖罪意識こそ、「神の試練」という装置の失敗ではないか。

 

「神の試練」では結局心の落ち着きがなくなるのだ。

 

「予定説」

キリスト教の最高奥義。

天国へ行ける人はあらかじめ決まっている。

陶工たる神の御心は、土塊(つちくれ)たる人間にはわかろうはずがない。言いなりになるしかない。

 

最後の審判で生者も死者もみんな掘り返して、神があらかじめ決めていた判決「天国か煉獄か」をせーので言い渡すのだ。

 

ジャスティ

今はの際に

「あとで再評価するから地の下で待っていろ」と言われて…

穏やかな気持ちで死ねるのか?

 

自分が天国に向かうのか

煉獄に向かうのか

知らされずに。

 

こんな試練を信者たちはほんとに受け入れているのか?

 

てか教科書(聖書)読んでるのか?

 

「そんな神はいらない」

生きているものにも

死んでいくものにも

安らぎを与えることに失敗し
試練ばかりを与えるような

神などいらない。

 

それは所詮人間が考えたものだろう。

 

本当に神がいるなら

そんなもんじゃないだろう。

ジャンヌ・ダルク