TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

カストラート~歴史の闇に葬られた神の声

お正月、風邪気味だったので(コロナではない)アニメの一気見と映画も少々観ました。ある映画が心に引っ掛かったので、お勉強しました。

 

カストラートとは

事故や病気で睾丸を除去せざるを得なかった少年が、ボーイ・ソプラノの性質を保つことは知られていました。

これを歌手として育て、意図的に行うことが始まったのです。

 

変声期前の去勢によって、高音域を保つようになった歌手を「カストラート」と呼びます。

 

始めは教会の孤児院のうち音楽の才能を見出されたものが去勢対象に選ばれていました。去勢は非合法でありましたが、理由をつけてそれは行われたのです。

 

その学校はしだいに高度教育を施す音楽院へと発展していきます。そこでは、宗教教育とともに、高度の音楽教育や歌唱指導が厳しく叩き込まれていました。

彼らは、大きくならない声帯と、成長する肉体(肺活量の大きさ)を武器に、とんでもない発声技術を実現していきました。

 

去勢は、貧困からの脱出や名声を得る「人生の一発逆転」の手段になっていきました。「先天奇形」「豚にかまれた」「落馬した」などと理由をつけて子の去勢を申告する親たちが後を絶ちませんでした。

そう、親が我が子の去勢を進めたのです。

手術の失敗や不衛生な手術による感染症で死ぬものも多かったことでしょう。

 

ピーク時には毎年4000人以上の7ー11歳の男子が去勢されたと記録されています。ローマには「当店では少年を去勢いたします」との広告を出した店があったそうです。

 

その方法はこのようであったと伝えられています…

思春期前の少年が鎮痛にアヘンを飲まされ、湯槽につけられ、局所を柔らかくしたのち、経静脈圧迫により意識朦朧とした状態で、鋭利なナイフで睾丸が切除されるのです。

 

こうして去勢が行われた者は、テストステロンの増加がなく、喉仏が発達せず、変声期がありません。四肢は長く背が高く、肥満しやすく、胸郭が発達し、女性的な顔つきになります。

このような外見の異常から、カストラートは偏見や残酷な扱いに耐えねばなりませんでした。生殖不能でも性交は可能なのです。それがまた蔑みと苦しみの素でもあります。去勢者の結婚は禁止され、どっちにしても子孫は残せませんでした…

 

カストラートの歴史

9世紀にグレゴリオ聖歌の整備、11世紀には多声音楽、16世紀アカペラ様式など、音域の広がりと高度な歌唱技術が要求されるようになります。

しかし、教会の聖歌隊はすべて男子や男性でした。これは、聖書の記述(コリントⅠ.14:34-35)に従い、女性が教会での歌どころか話し声も禁止されたことによります。

(ことに1588年、教皇シクトゥス5世は「女性歌手及び女優追放令」を発します)

 

そこで、ソプラノやアルトなど高音域を担う「ファルセット」に、「カストラート」が加わります。

 

1599年、教皇クレメンス8世はイタリア人ジローラモ・ロジーニの声の虜になって、正式に教皇聖歌隊編入しました。周囲の猛反対を押し切っての大抜擢です。カストラートのつやのある美しくかつ力強い声は、当時の教皇たちの心をとらえました。

 

カストラートはまず教会の礼拝堂や聖歌隊で大変な人気を博し、作曲家を魅了し、『バロックの宝石』と呼ばれ、17世紀バロック音楽に大きな地位を占めました。

人を陶酔させる天上の美声、人工的な美や装飾的な美は「神に近づく」わざ…と讃えられたといいます。

彼らは、その歌唱技術や、カデンツァなどの超絶技巧、なによりその甘く強い『み使いの声』をもってヨーロッパのコンサートホールを席巻し、莫大な富と名声を博しました。

 

史上もっとも有名なカストラートカルロ・ブロスキ(通称:ファリネッリ、1705-0782)の音域は3オクターブ半あり、高音域の人気もさることながら、楽譜を見ると中音域・低音域が効果的に使われ、大変に官能的であったようです。

このファリネッリが、映画「カストラート」の主人公です…

カストラート

 

18世紀前半はカストラートの活躍の最盛期。

それは社会現象となり、オペラでは失神する上流階級の女性が少なくなかったそうです。また2~3公演でその国の首相の年棒を超える収入を得るものもいました。

余談ですが、ベ-トーベンは幼少のころ、ボーイソプラノとしての稀有な才能から周囲に去勢を打診されましたが、父親の反対で実施されずに済みました。

 

しかし、18世紀後半~19世紀啓蒙主義の時代には、「非人道的である」とされ、不況や社会不安もあり、次第に去勢への視線が厳しくなります。

フランス革命が起こり、ナポレオンが出て去勢を禁止するようヨーロッパじゅうに働きかけます。

ローマ教皇も女性の舞台進出をようやく認め、カストラートは衰退していきます。

 

やがて、音楽院も閉鎖され、20世紀に入って教会からのカストラート追放が決定し、1913年、「最後のカストラート」アレッサンドロ・モレスキがシスティーナ礼拝堂を去りました。カストラートの歌としてレコードに残っているのは彼の声だけです。

その歌声には「神を賛美する天使の声、そして栄華を極めたカストラートの死と、人間の美に対する欲望が生み出した悲しい陰が感じられる」のです(金谷めぐみ、植田浩司)。

 

権力が生み出す歪み

カストラートの隆盛は、女性が演劇や歌劇の舞台に立つことを、皇帝や教皇から忌み嫌われたことから始まりました。

日本でも、女性の演劇は弾圧を受けました。阿国に始まる歌舞伎は、江戸幕府に女性や少年の登壇を禁じられた(「風俗を乱す」からだそうです…)ことから現代の形ができました。

権力者の「金玉の小ささ」から、大きな歪みが生じました。

 

逆に、権力者が芸術家を保護することで芸術が発達を遂げ、爛熟していく姿にも、曰く言い難いものが付きまといます。

 

映画「カストラート」では、ファリネッリが”このねじれを壊してくれ、自由を求めさせてくれ…”と歌いあげるのでした。

それは芸術家を突き動かす「自由」の希求、境遇からの逃走の希求。虐げられた魂が、自分の命の輝きを求めてあがいたものであったろうと思うのです。

 

しかし、彼は権力の庇護下に入ることを選びました。

あるいはそれしか生きる道はありませんでした。

もしくは、富と名声を得る予感に抗し切れませんでした。

それは魂の奴隷。

一見「わがまま」や「欲望を満たすこと」を好きなだけ許されるけれど、根本のところで、解放を許されない。

 

 

芸術家に限りません。

本当の自由を捨てて、わざわざ権力にすり寄り群がる人間のなんと多いことか。

 

民衆の残酷なまなざし

このように、華々しい光には濃い影が付きまとうものです。

 

カストラートを見る民衆の目は、いろいろな感情を表していたことでしょう。

 

自らの手を汚さない供儀…この美しく、おぞましいものを神に奉げることは、魂の泡立つ喜びであったでしょう。

 

あるいは「贖罪」…

男でも女でもないものとして蔑みながら、その生み出すものに心底魅了されることに、背徳を感じた民衆は、贖いを自分ではなく、カストラートたち自身に押し付けたのではあるまいか。

 

このように、様々な歪みから生まれた天使の歌声たちは、気まぐれで残酷な「民衆」あるいは「権力者」の裏切りにより、歴史の闇に捧げられ、そして葬られたのです。