ここは植民地~世界大戦へ
責任者出てこい
不在です。
国家は国民を守る…だろうか?
日本人にとって最も重要な日本国憲法条文はなんでしょうか?
これがなければ憲法が用をなさない重要な条文があるのです。9条ではありません(笑)。
さて、憲法13条を読んでみましょう。
「 すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
憲法は国民の権利を守るために国家権力を縛るものであります。
あるいは国民に対する国家の約束です。
憲法を、他の法律のように、国家による国民への命令と思っている人が政権党にうようよいる。
あほか。
そんなものならわざわざ作る必要がないのです。
そんな理解だから憲法を踏みにじって平気な顔をしている権力。
踏みにじられて平気な国民。
ならばどのみち憲法は役に立っていない。
国家が国民の生命、自由および幸福追求の権利を守らないならば、憲法はすでに死んでいるといえるのです。
海外の病気や薬害がわかっていても、日本への流入を防ぐどころか助長する。これ国賊なり。
国民の命を絶っても権力者の個人の罪を不問に付す。これ国賊なり。
大使館はテロや災害で門を閉ざし、日本人を入れない。アフガニスタンに国民を置き去り、自分たちは英国機で出国した。これ国賊なり。
国民の財産をポケットに入れる、自由を奪いながら代償を提示しない、経済不振に対策を打たない。これ国賊なり。
すべて憲法違反です。
守る気はあるのか、さてさて。
属国の憲法の軽さ
日本の政治・経済には上位の存在があります。
その証拠ですか?
こちらです(証拠もなく断言したら、私逮捕されかねません)。
日米地位協定です。
この協定の運用のために、憲法は幾度も無視されています。
つまり日米地位協定は日本国憲法より上位にあるということです。
それが「宗主国」の法律というものです。
そして、憲法の上に後からひょいっと法律を載せることができるということは、「ああ、アメリカはこの憲法をお飾りと考えていたのだ」と知れます。
制作過程が影響を及ぼしているかは、今日は問いません。
余談ですが、アメリカの許可さえあれば、憲法条文を必死で守ったとしても、解釈改憲が行えてしまうのです。
それに気づいて、いろいろやりまくったのが亡国元首相です。それまでは内閣法制局は慎重に慎重に解釈を積んできたのに…
日本には独裁者などいない
また、その前提から次のことが言えます。
日本には「権力をほしいままにする独裁者の集団」などないのです。
あるのは無責任と無駄と惰性。
いえ、勘違いしないでください。
無責任なのは国民です。
この国の老人たちときたら、強大な権力など持ってこなくてもいうことを聞くのですから―。
責任感があれば、政府が間違ったら行動するのです。
甘えているから行動も発言もしないんです。
聞こえないように愚痴くらいは言うかな。
では政府・行政機関はなんなのか。
無責任というより責任を取る権利が与えられていないのです。
ただの代官です。
宗主国がノーと言ったらノー。OKと言ったらオッケー。
このような集団では倫理に基づいた行動がとりにくくなるのです。いや倫理観が無駄になります。
全体や将来に対して責任を取らなくていいので、今だけよければいいし、内輪での利権の確保に終始するわけです。
部下や国民は無秩序にブラウン運動を始めるでありましょう。
例えば、少子化・人口減少がわかっているのに、民族が生き延びるためにやるべきことは子供と教育に100倍投資することでしょう。それぞれの利権を追っている場合じゃない。
なのに「政権党」は、旧統一教会が指示する通り、子供を守るどころか「教義のために」子供を囲い込み続けられる状況を守り続けた。そしてお金を決して回さず、今だけの利権を失わないことに汲々として、解決に抵抗している。
そして、そういうのが許されるのは、アメリカの許可や指示があるからです。
「やっとけ」「やめとけ」と。
もし独自外交などしようものならつぶされるのです。
70年代「日中」をやった田中角栄はつぶされました…
宗主国は…
宗主国は、自国の植民地には冷酷です。
ドイツやイギリスの物価高・燃料不足、食糧不足・肥料不足は大変厳しい状態にあります。
これでも「もっと出せ」と迫り続けるものがいる。
レオパルト2の供与が決定されました。
嫌がっていたドイツが押し切られました。
これは…NATOの軍事的空白を意味します。
ロシアが「防衛」を掲げてドイツを襲っても守る盾はありません。
誰か?
ヨーロッパを追い詰めて植民地化したがっているのは―
日本も戦後、歯車がひとつずれれば、イラク、アフガニスタン、ユーゴ、そしてウクライナになっていたのです。
しかしこの無責任状態が続くならば、日本など簡単に暗黒面の手に落ちる。
納得の死へ
こんな政治の下でも、100年先や子孫のためを見据えて自分を犠牲にする人がいる。
彼らを美徳として言い伝えることこそ弱きものなりの自己防衛の本能。
彼らに連なること…それを願っています。
納得して死ぬために。