日本語からみる男女平等
男尊女卑の言語感覚
女優っていう職業があるじゃないですか。
でも、Actorはアカデミー賞とかだったら「男優」って訳するけれど、職業名でしたら「俳優」ですよね。
Actoressって書いて「俳優」って訳する人はいませんよね。
「男優」って言ったら、聞く人によっては業界が限定されることがあるでしょう(汗)。
これが日本の現状ですよね。
言語感覚でわかる男尊女卑的傾向。
女らしさと男らしさ
女らしさ、男らしさといわれる属性はいろいろあるでしょう。
女子力、などというつかみどころのない定義のない言葉もあるわけだし。
ただし、女性が女らしいとされる特性を持っていなくても構わないし、逆もまたそうでしょう。
男らしく女らしくあることの前に、個性があるのです。
人として平等であるために
男と女が同じパフォーマンスが求められるのは間違ってる。
人として平等、そこだけが大切な前提だと思います。
ゆえに、差別を前提として存在する不利には、社会的・政策的にフォローが必要です。
フォローしないのは、上記の「権力」を少しでも手放したくない権力者側の強欲ですから、正当な権力は、フォローするほうに注力しなければならない。
これが、「人として平等」を担保する考え方だと思います。
そういう意味で、女性専用車両は賛成ですし、映画館のレディースデーは、目くじら立てる必要がない(商業上の戦略なだけ)。
夫婦別姓は賛成ですが、子供の姓をどちらに帰属させるかは完全に平等であるべき。国籍とは別の問題で。
言語をみて警戒すべきこと
「女らしい」「男らしい」という言葉が、なにかほめたくて使われる時、いわれてうれしい時もある。
それは言葉の裏に好意を感じるとき。
しかし、何か対象者を貶めるように発せられることがある。
いやね、思うのはしょうがないんですよ。
実際、「ほめるのに使う」からには「けなすのに使う」と表裏一体ですから。
ただ…悪いほうに使ってはいけないというより、そのように使う人に力を持たせてはいけないと思うんです。
「女らしい」ことに、権力に強欲であることはあまり結びつかない。というか、その場合、「女らしい」範疇から外れる。
「男らしい」ことと、「強欲」や「強権」が結びつきやすいことは問題です。警戒し続けなければならないと思います。
用語はなかなか変わらないが、フォローする権利をそろえることから始めましょう。