小説「仮題・ヒギンズ教授の憂鬱」第1章ー2
(俺・倉科哲也は、気まぐれで、高校の後輩ミチに、「彼女が通う大学のサークルのS先輩をゲットする」というミッションに向かわせるため、プライベートレッスンを始めた)
より。
「いいか、ステディになるまで、Sっちに笑顔以外の表情は見せようとしなくていい。
そいつと同じ空間にいるときは、やつがどっちを向いていても笑顔だ。
合言葉は、『Sと同じ空気を吸ってれば幸せ』だ。
そして、できるだけそいつの顔を見ていろ。
目があったら一瞬で笑顔を作るために、ずっと観察しておくんだ。
それで、目が合ったら、1秒ちゃんと視線を合わせろ。
そんで笑顔のまま目をそらせ」
「はいっ倉科先生っ」
「先生じゃない!」
「倉科先輩…略して倉先! あ、やっぱ一緒じゃん」
「もういい。…笑ってみろよ」
にぃ…
「こうですか?」
ああぎごちない。
「全然だな!」
これは教え方に工夫が必要だ。
「ミチ。お前は照れ屋だから、すぐ拗ね顔をする。
それ、封印だ!」
「そこにたけ〇ちりょーまがいると思え!」
「私、タケル君のほうが」
「なんでもいいぞ!」
「なんでもなんて! 先輩のばかあっ」
何か踏んだらしい。この忙しいときに。いや、暇なのか。
「ほら、ここに子犬か子猫が寝そべっているとしたらどうだ?」
「え? 先輩飼ってるんですか?」
鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている。
「いや、いたらだよ。…あ、あった」
たまたま転がっていた馬のぬいぐるみを目の前にとんと置く。
「ほら、な?」
「はい…きゃ~」
ミチはぬいぐるみを一心にモフモフし始めた。
なかなかいい顔だ。
さて…男の気持ちを引き付けるのにふさわしい顔ができるかな?
何日か繰り返すうち、いい表情ができるじゃないかと褒めてやった。
「えへへ。テレビで映画見て真似しました」
「へえ、だれの?」
「あの、あの、ローマの王女様」
「…『ローマの休日』か。オードリーじゃないか」
「かわいいですよね!」
「ってか、最高峰だろう。よくそんな大それたことを思いつくな」
ドラマを見て…だったらともかく。
「つまりカメラ回ってる間ずっと笑ってるのね…こんなのできたらアイドルになれるわ…」
いい感想じゃないか。アイドルだと思って頑張ってみようか。
「相手が心を許すまでは、役を演じるんだ。相手が気を魅かれるような…な」
「先輩は誰が好きなんですか?」
「はっ、聞いてどうする? 実は内田有紀だ」
「オードリー…内田有紀…わかった!」
「どうわかった!?」
「ショートヘアがいいのね! 切ります!」
「そこじゃなーい!」
「彼女さんもショートなんですか!?」
「い、いや」
俺の彼女はセミロングだ。
そして、隠し技を伝授する。さりげない接触だ。ソフトタッチだ。
部室で会った日は、1回だけでも必ず肩でも腕でも、なんなら背中でも触っておけ。
最悪、糸くずがついてますよでも構わない。
使い方は練習が必要だが、有効だ。
ほら、触ってみろ。いてっ、それは叩いてんだよ。
こんな感じだよ、ほら。
「…ああ、触られてるかもってぎりぎりわかる」
これがソフトタッチだ。
「気持ちいいかも…わかったーわかりました」
ミチはちょっと上目遣いになって「いいなー…先輩の彼女は」とつぶやいた。
…いや、それはどうだろう?
俺は、最近、会えばケンカばかりしている彼女を思って、ズキッと胸が痛んだ。
どうしてああなっちまうんだろう?