小説「仮題・ヒギンズ教授の憂鬱」第一章-4
より。
ミチはSに誘われて比叡山に上ったという。
「S先輩の見解では、デートじゃないんだって」
二人だけで比叡山に上るのは、デートじゃないのか?
Sは硬派なのか、馬鹿なのか?
俺はこめかみをそっと押さえながら、続きを促した。
「教えてもらった通りに肩をソフトタッチで触ったら、手を握ってきたの。何度も手をつながれたよ。でも3回に1回は手をひいてやったわ」
「ほんとか?そんなに?」
「…ほんとはぁ、4回に1回」
っていうかその喋りが上品でない!
言葉遣いも少しずつ直しながら日々実習を進めていくうち、友人たちからの評価も上がってきたようだ。
「でも、みんな、『さすが恋は人を変えるのね~』とかって解釈してるのよね… S先輩は、まだ付き合ってないって言ってるけど。どっちでもいいか」
恋が変身のモチベーションなんだから、あながち外れてはいない。
まあミチも見れるようになってきた。
ついに、教科書をもらうだか何だかっていう些細な用事で、ミチはS先輩の部屋に行く約束をしたそうだ。
いよいよ男の部屋に初めて招かれるのだ。
その日を迎えた。
その夜、電話が鳴った。
「どうだった!?」
「うまくやれたと思います…」
「そうか」
「出るとき抱きしめられたんです」
一瞬、言葉に詰まった。
「そ、そうなんだ?」
「…ぎゅってされた。そんで…キスされそうになって…その、されそうになったけど…」
「え?」
「まだいやーって、下を向いちゃった…」
ふ。
ふふっふふふふ。
「あはははは」
「んもう、せんぱあい、笑わないでくださいよ」
「ほんとかよ、嫌がったのか、なんでー?」
「ちょっと、その、怖かったから…」
中身はまだまだガキなんだな。
「それで? 逃げてきたのかい?」
「ごめんって言われちゃった。けど、離してはくれなかったよ。もっときつく抱かれたから」
「ど、どうしたの?」
「私も抱き返しちゃいましたよ…」
Sは意外に行動派のようだ。
おもむろに、俺は言い渡す。
「これからはその部屋に何度も入っていかなくちゃならない。S先輩とうまくいくように願っている。だから、もう俺の部屋に来ちゃいけないよ」
「あ…はい」
「でも進捗状況は教えてくれたらうれしいね」
「はい、そりゃあもう! だって先生だもんね!」
なんでだか、安堵の気持ちと、少し気抜けした気持ちがした。
ミチは、まだ、男とキスをしたことがない(はずだ)。
しかし、まだ見ぬSという男に、キスされるよう、恋愛指南をしているのは誰だ。
そんなことをしてていいのか。
Sってどんなやつだ。変な奴かもしれない。
ミチにとって、最初の恋人になるのか。
そして最後の恋人になれるのか。
そんなことがぐるぐる頭を回っているのであった。
やがてミチから喜びの知らせが入る。
先輩から正式に交際を申し込まれたのだという。
ミチは教え通り即答はしないでじらせておき、時間をおいて返事した。
むろん、誰も知った人のいないところで。
Sは、きっちりミチを抱きしめ、キスを果たしたとのことであった。
Sはミチを「捕まえた」つもりでいるだろう。
しかし、捕まったのはどっちだか。
ヒギンズたる俺は、鼻高々であった。誰にも自慢できないけど。
これから夏休み。
若い二人であるから、それなりにいろんなことがあるであろう。
報告が楽しみだ。
さしあたって…自分のほうは、またけんかしてしまった彼女との修復に懸命なのであった。
昔の恋人(っていっても高校生だぞ!)がくれた目覚まし時計を何度言われてもずっと使ったのが気に入らないで飛び出した彼女を、俺は公園まで追いかけたのであった。
どうにか夏の魔法的なもので彼女との仲は修復できた…と思う。
ミチのほうもこの夏の魔法でSとどこまでいけるやら。
しかし、LINEが来るまで、正直自分のことだけで精一杯で、忘れていたのであった。
いや、考えないようにしていたのかもしれない。