TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

にじのこ

親のやきもきをどこ吹く風のマイペースなうちの娘。

どうやら共通テストの足切りラインを余裕で突破したようです。

 

allnightsailor.hatenablog.com

 

ここまで来た…実に感慨深い。

ふいに思い出したお話を一つ。

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私はその日、出張で外出していました。

一人で通院した妻からのメールの文面は一生忘れないでしょう。

 

「あかちゃん しんじゃった 心臓動いてないって しんじられない」

 

足元が突然砕け散り、奈落に落ちていく―。

 

病院は、不妊治療のマタニティクリニックです。

ようやく授かったはずの我が子。

検診で早期流産を告げられたのでした。

 

 

急いで帰宅すると、妻は呆然とソファーに座っていました。

私の顔を見て、爆発するように泣き出し、俺にむしゃぶりつきました。

慟哭が嗚咽になって、いつまでもいつまでも、しゃくりあげ続けました。

 

そのまま、私は有給休暇をとりました。

掻把処置後、退院してきた妻に「旅に出よう」と告げました。

当日。朝から篠突く雨でしたが、今は動かないといけないと思いました。

二人だけでこのつらさと向き合うことに、耐えられないと思いました。

いや、妻と深い闇に自分だけで向き合うことに、耐えられなかったのでしょう。

 

 

まず、祈祷してお守りをもらったお寺に向かいます。

お守りを返すために。

 

山中の道は狭く、よく揺れました…

祈願の時には気にもならなかったのに。今はそれが結構堪えました。

雨のため視界も悪く、気分は滅入るばかり。

 

そして、気持ちが千々に乱れていた二人は、些細なことで口論を始めてしまいました。

それはあまりに鋭い言葉の応酬になったのでした―…

 

  俺たちは もう だめかもしれない。

 

「もう…」

一言がついに口をついて出ました。

破局はすぐ目の前でした…

 

 

そこへ。なんというタイミングか。

車のフロントガラスの向こうに。

美しい虹が出現したのです。

二人とも気付いて、息を呑みました。

 

 

丘のてっぺんから開けた景色いっぱいに圧倒的な虹。

 

 

雨がいつのまにか上がっていたのでした。

 

 

妻と、顔を見合せました。

言葉はなくても、同じことを思っています。

 

 あの子が見せてくれたのだ。

 喧嘩しないで、と。

 

 

お寺さんは、「毎年必ず祈禱をしますから」と、新しいお守りをくれました。

 

そして、車は伊勢に入ります。

おかげ横丁で、赤福をほおばり、太鼓櫓(たいこやぐら)の神楽を体感しました。

鳥羽水族館で、ラッコやペンギンをじっと見ていました。

私たちは、まったくの無表情ではなくなっていました。

 

 

 

1年後。

治療の甲斐あって、待望の第1子を授かったのでした。

妻は、生まれてきた子を「虹の子」と呼びました。

それが、今うきうきと大学受験を楽しんでいる娘です。

 

妻の物語の中で、娘は虹に祝福された人生を歩んでいます。

生まれ変わりがこの世にあるのかどうか、まあ、それはどっちでもいいこと。

実際、人に愛され、芸術を愛するよい子に育っているのですから。

祝福あれ。

祝福あれ。

これをお読みいただいた皆様にも―