私たちの「感情」を伝えるには。
正しいことが伝わらないという悩みが絶えません。
伝わるとは何か。
「伝わった」と思うことです。
それをどう確かめるか。
行動や言葉でしかありません。
その基準や方向性が、期待通り・想定通りであることが「確認」できたなら、「伝わった」と胸をなでおろすことができるでしょう。
本当に”伝わった”が実現したら、”言葉にすれば同じになる程度にまで行動計画や行動規範がすりあわされる”わけです。
しかし、まれに言葉にしなくても、同じように感じてると思えることがあります。
これが”共振”、”共鳴”している状態です。
何も言わなくても、必要な行動を勝手に取っている、歴戦のパートナーのような存在です。
しかし、ほとんどは、 「伝わったと思う」ことは、相手ではなく、自分の感受性に委ねられています。
伝えたい主体が、自身の語彙と感受性の範囲で、相手の反応(言葉や態度)を受けとるわけです。
つまり、なぜ伝わらないか…は相手の問題ではない。
技術の問題でもない。
あるに越したことはないけれど。
自分の「伝えたい」という”欲”がどのくらいあるかによります。
というのは、どうしても伝えたければ、伝わったかどうか確認したくなるからです。
そう、どのくらい工夫をするか、技術を求めるか、そのモチベーションが、伝えたい”欲”なのです。
時間制限はありますが。
その中で、「伝えたい」欲を満たすために、どのくらいの努力をするか。自分から技術やTPOの工夫をするか。
相手のせいにしてはいけません。
逆に相手が「伝えてほしい」と思っていてくれるなら、感謝するべき事態です。
さて、本題です。
事実を伝える場合と、感情を伝える場合とで、確認の仕方は変わります。
何を伝えたいかが変わるからです。
事実を伝える場合、リアクションを正確に意図通りに起こしてもらうことが終着点なわけです。
しかし、感情を伝える場合、心を動かしてもらうことが目的なのです。
なんでしたら、まあ、フィギュアやグッズを購入してもらうことがゴールかもしれません(笑)。
それでいくと、国民の怒りや不安は、まったく国会や政府に「伝わっていません」。
コロナの影響はどうなっていくのか。
少子高齢人口減少はどうなっていくのか。
悪いことをした政治家は罰せられるのか。
中抜きされた税金は将来世代にちゃんと返還されるのか。
皇室の危機はどうするつもりなのか。
もはや情報として受け取りを拒否している人たちに対して、動きを起こさせるには、「感情」を伝えるしかないわけです。
彼らには、欲望を超える「快感」や「恐怖」を感じてもらわなければいけません。
みなさん。
議員さんに具体的行動や投票行動を起こしましょうね、忘れずに。