コロナがより身近にやってくる時代。それがwith コロナ。
with コロナ時代の世界は。
よりコロナが身近になるでしょう。
緊急事態が共有されている間は、誰もが感染予防行動をとらざるを得ず、外れる人を「悪い」と断じて困ることはありません。
しかし、これからは危険行動も、「平常」の生活の一部になります。
熱があっても咳をしていても、外出し、電車に乗る。
満員電車でつり革を持ち、そのまま手を洗わず。
トイレでも手を洗わず。いやそれはコロナとは別ですが。
よくあるのが。
自転車に乗りながら煙草を吸い、ゲホゲホとせき込んでいるようなやつを見かけて、コロナかもと身をすくめてよけようにも相手は自転車。なんだったらバイク。よけようがありません。
つまり、リスクは変わらないのに予防行動が甘くなり、あるいはこれまでの反動からよりリスキーな行動が発散されるため、感染予防行動を守りたい人々のすぐ隣にコロナはやってくるのです。
ゆえに、コロナが身近になると断じたのです。
市民の感染予防行動はもはや立て直しようもない。
「経済」の名のもと、だらだらとコロナ患者が出現し、外来に容赦なくコロナが持ち込まれ、医療機関の苦境は続く。
いえ、経済はいいのです。私たちとてカスミを食べて生きているのではない。
しかし、「with コロナとは公衆衛生の基本を継続すること」だという認識が裏付けにあっての、「経済活動」なのか。
このように「市民行動」がグダグダに雪崩れるのであれば、コロナは、避けようがなく誰の隣にもいますよということなのです。
コロナを抱えた自転車野郎に、すぐわきを追い抜かれるときのように。
少々時事問題に絡めて申せば。
トップが腐敗した国であれば、国民の倫理も知れたものでしょう。
ある意味人災と言えなくもない。