with corona の時代とは
With Corona。
covid-19(新型コロナ)感染症の猛威におびえ、嵐の鎮静化を願うおまじないとして、このワードが語られているような気がする。
なんとなく安心できるのであろうか。
「隣人」としてウイルスがいるというニュアンスか。
意地悪にも、その用語の意図する世界を観じてみよう。
「隣人」として「上手に」付き合っていくというのは、躱していく、よけていく、すなわち感染しないということであろう。
…それは After Corona である。
(ワクチンがない以上、それは訪れない)
with というのは、常に誰かが感染し、いくらかは命を落とすが、医療の対応できる範囲内に収まる…ということである。
緊急事態宣言は、パンデミックのたびに第3新東京市の非常事態の警報のように出され、感染者が少なくなれば解除されるという状態である。
あるいは、感染者が相変わらず多いけれど、医療体制が拡充され、余裕が生まれた時代がそう呼ばれる。
その時、経済活動の目的は食と医療に大部分を割くという、いにしえの時代のそれに戻っているだろう。
感染者・死亡者が、人類の存亡を脅かさない、コントロール下に置けるという時代である。
そして、その他の死病と同じように、「罹ったら運が悪かったということ」として、怯えずただ悲しむという心性を、人類が獲得した状態である。
感染症に手も足も出なかった時代の、人類の心性を呼び覚まされるということである。
しかし。
「神は死んだ」と言われる時代(もしくは神を踏みにじる時代)、そのような心性に人類を導く学問は、果たしてあるのか?