出会いは必然~2.名言の誕生(完)
先の記事では、抑うつで休職し、部署は元部下Bがあとを継いでおり、元部下Aが新設した課に移籍したが、周囲の目線からは守ってもらえずつらかった思い出をのべました。
お互いに認め合う
しかし、メンバーの規律の高さは、元の部署にないものでした。
多少乱暴にでも、Aはメンバーをしっかり課の目標「すべては利用者さんのために」に向けてまとめあげていたのでした。
工夫というほどの工夫はありませんでしたが、目標が高くはっきりしていたため、プライドは高かったのです。そして、当初ついてこれなかった私が冷たくあしらわれていたのも、彼らの「作り上げた品質を落としたくない」という思いからだったのです。
組織論的には、拡大する組織は、現状維持を良しとする周囲とは軋轢不可避だったといえます。軋轢の当事者はたまったもんじゃなかったですが。
デスノートを毎晩書いていました。あれはどこへやったかな。
そう…私、恨みを忘れるのも早いのです。
その中で、とにかく私は周囲の声に耳を傾け(ひっそり妻の膝で泣き)、利用者さんたちからの信頼を勝ち得ながら、自分のできることを積み上げていきました。
資格に挑戦したりもしました。まったく配慮もしてもらえず、むしろ嫌味を言われながら1年間勉強をつづけ、試験前日に同僚の結婚式で広島まで連れていかれたことも、合格した今となっては推進力を生む、ほど良い妨害でした。
こうして、部署の中に、徐々に地歩を固めていったのです。
自分の居場所ができると、勝手なもので、この部署のいいところも見えるようになりました。
お互い認め合えるようになったのです。
名言の誕生
ある年の忘年会。
(コロナの昨今、忘年会とかいうのも遠い昔の行事のような気がします)
Aが締めの演説をしています。
「TETSUYAさんが自分をこの病院に呼んでくれて、自分がまた人を呼び寄せて、またその後輩を呼んで…このメンバーが集まった。いまこんなに、なんでもできそうな力のあるグループが集まったのは奇跡のようだ」
私は名指しで引き合いに出されるのを(別に褒められてませんが)好みません。入社試験で「TETSUYAさんのような上司に仕えたい」といった学生に「よく知らない人についていくとか感心しません。個人ではなく組織の目標に付いてきてほしいと思います」と冷たくあしらったこともあります。
普段は黙って聞いているのですが、この事態には何か言っておきたいと思いました。
「いえ、A課長の目指すものが確かだからこのメンバーが集まったのです。もし私が動いてなくっても、他のところにこのメンバーが集まったでしょう。何度やり直しても、このメンバーが集ったでしょう。この集まりは、必然です」
シーンとしたのち。
全員拍手。
運命論的な結論
歴史IFの話や、SFの話で、過去に介入して条件を変えて結末を変える話が少なからずあります。
実際にも、このような話を見かけ、違和感を感じたのです。
「母には夫(筆者の父)の前に付き合っていた人がいた。わがままを受け入れてくれる素敵なその人から、お誘いがあったけれど、偶然の積み重ねで縁がなかった。もしそこに行っていたら、夫とは結婚していない。そして、私は生まれていない」
……
…
そうかな?
私は思うのです。
細かな歴史の流れは違えど、大きな流れは変わらない。
お母様とお父様はどうやっても出会っていた。
必ずあなたは生まれていた。
心配(?)はいらないのです。
どっちみち、あなたのいない世界など、あなたには関係ないのですから、考えてもしょうがない。
プロテスタントの最高奥義は「予定説(預定説)」であります。被造物たる人間の浅はかな知恵で、神の予定に異議を唱えることなどできようはずもない。
このことをSFでいえば、タイムパラドックスの話になります。
例を挙げれば、「戦国自衛隊」(半村良)や、「マイナス・ゼロ」(広瀬正)です。
あるいは「スターライト☆ぱにっく!」(火浦功)、なんだったら「クレープを二度食えば」(とり・みき)です(ちょっと違うかも)。
Aは今、組織から独立し、自分の会社を設立しています。
私は大学院を経て、身の振り方を考えられる時期です。
運命をあらかじめ知ることはできないけれど、流れてきた人生が運命だったのだとは思える。
その中で自分が精一杯主役を務めてきただろうか。
(「主人公」(さだまさし)です)
後悔しないためには、来るべき事態に、いつも「精一杯生きるぞ!」という覚悟で臨んでいくしかないのです。