TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

航海~1.社会人大学院への船出。

TETSUYAです。

TSUTAYAではありません。

それは好物ですけども。

 

社会人大学院卒業間近です。

いろいろ振り返ることがあります。

そもそもなぜ入学することになったのか。

いろいろありますが。

・学会で座長推薦を受けた論文がリジェクトされ、論文の作法を知らないことを痛感し、習いたく思った。

・そこで、恩師に論文の書き方を教えてくれる人を紹介してもらおうとした。

・その電話で、今の職場への不満と、マネジメントの勉強をしたいという希望を述べたところ、この大学院を紹介された。

やはり一番は、転職目的だったのです。

 

職歴です。

大卒新卒で一般企業に就職したTETSUYAですが、間もなく辞め(大変良い社会勉強になりました)、医療系を目指し、大学に再び入学しました。

大きな病院に入職しました。

部署の改革を唱えて運動しましたが、上司が格下げの憂き目にあい、私も転職しました。

現在の職場では、転職して2年目にひょんなことから予想もしなかった管理職になり、部署と会社の復興に尽くしました。

人員も利益も患者満足もⅤ字回復を遂げましたが、私は激務でした。病院を背負って立っているつもりであったからです。

しかし、8年目に、自律神経失調症が直接のきっかけになって休職しました。抑うつ状態の診断でした。

3か月が過ぎ、管理職から滑り落ちていました。

復職してしばらくして部署を変わり、抑うつ寛解しました。

健康教室講師や学会発表(上記)もできるようになりました。

しかし、職場の改革は頓挫したまま、部署はいがみ合い、人の出入りは激しいままです。

私の理想とする経営とは程遠いものでした。

私を用いてくれた事務長もこの世を去り、カネだけではない、職員のプライドを高め、会社のステータスを上げるという望みも、顧みてくれる人はもうありません。

 

働きやすく働き甲斐のある、人の定着する病院を作りたい。

その一念は消えることなく燻っています。

ここでもいいけど、だめならよそでもいい。

医療経営にかかわりたいと、最後の望みをかけて、上記の恩師の勧めに乗ることにしたのです。

 

それが船出でした。