母の謎人脈
謎人脈
昔からTETSUYA母の人脈は謎でした。
家の中に隙間風吹く貧乏人の家に、分不相応と思えた着物の数々が置いてあったり。
未公開株を買って小金を稼いでいたり。
百貨店や仲介業者の職員家族カードを持っていたり。
派手な輸入品を卸値で購入したりしていました。
私は小学生のころから英語の塾に通わされていたのですが。
(ああ、成果など雲散霧消しましたが)
その英語塾の先生は、しゃべりもテキパキした北川景子似の美人(コミュ障の私には眩しすぎました)でしたが、世界中から定期的に客が集まって、着物パーティーが開かれていたのでした…
そんなところに母は出入りしていたのです。
職人の父方の親戚には全く受け入れられなかった母は、このように謎の人脈というか、貴人・異人たちに不思議と受け入れられるのでした。
「普通」の人には受けず、さぞ生きづらかったろうと思いますが、ピンチの時には不思議と誰かしら助けてくれているのです。
私たちきょうだいはすでに貧しかった暮らしの中で生まれたので知らなかったのですが、母は戦後復員した祖父が羽振りの良かった時期に、「お嬢様学校」で学生時代を過ごしたのです。
そう、「社長令嬢」だったのです。
祖父が体を壊して会社はつぶれ、没落しました。
性格に難のあったこの「お嬢様」は、「嫁き遅れ」、父と結婚したのでした。
鬱屈を、子供の教育に注ぎ込んでくれました。
小金など持っていても父が食いつぶす…という判断だと思われます。
おかげでまあ面白い人生ではあります。
父
閑話。
父も一応は社長の一族。しかし、末弟の父は、安くこき使われていたのでした。
現場の信頼は厚く、兄社長が倒れてからは営業もし、図面も引け、経理もしながら職人をまとめる八面六臂の活躍をする「屋台骨」でしたが、本家を束ねる兄嫁には頭が上がらないままでした。
だからか、私は父の実家に比べて、あまりにも…貧しい家で育ちました。そんな事情を知るのは自分が故郷を出てからでした。
出会った頃はお互いの実家の羽振りが良かった、そんな縁が二人を結びつけたのでした。
母の現在
閑話休題。
その母ですが。
故郷で一人暮らしを続けています。
前のようにお友達と遊びに行くことはできなくなりましたが、周りに「変な」人たちが付きまとうのは変わらぬ風景です。
ひと時「アム●ェイ」もやっていたようです。懲りないねえ。
儲けた小金を私の妹の子、すなわち自身の孫の教育につぎ込みました。
おかげで、ひ孫を抱く栄誉に浴しました。妹は若くして「おばあちゃん」の称号を得たのでした。歴史は繰り返すなぁ。
そして、現在。
訪問介護にひと月15000円も払うほど頼っています。
どんだけ呼んでるんだ。
しかもその担当は、私の小学校時代の同窓生の奥さんという、袖擦りあった感じの関係です。
そして私が困っているのは。
なんかというと、電話をかけてくることです。
いえ、電話だけならいいんですが。
返事しても同じ質問を繰り返してきます。めっちゃ時間が掛かるのです。平日にはとても電話できません。私が無視していると、弟や妹に掛けます。しょうがないので「メールなら返事するから」と言ってやります。
認知症と見分けがつきにくいですが、不安神経症が強いのです(診断名をつけてもらったわけではありません、あくまで私の疑い…)。
最近は理解力低下が加わって、依頼心も強くなり、「見に来て~」と言います。
そうはいっても田舎は遠い。
先日、「部屋のドアノブが壊れた」と言ってきました。
これ、めちゃくちゃ困る事態でした…部屋を閉めると部屋から出られないので、開けっ放しになるのです。寒いのです…
わかっちゃいるけど、なかなか帰れない。
しかし。
様子を見に行った妹(私よりさらに故郷から遠い所に住んでいます)によると、いつの間にか直されているのでした。
なんと、訪問鍼灸師に直してもらったそうです!!!
意味わかんない。
その鍼灸師も確か、市の事業で格安で来てくれているのです…
どんな人脈だ。
そんなわけで。
私の母には悪運が付いていて、何か起こったとき手を差し伸べてくれる人がいるのです… 変な奴なのに。