TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

肩に降る雨~医療者の風景

雨の季節です。

中島みゆきファンとしては思い出す曲があります。

 


中島みゆき-肩に降る雨  花木さち子&高木椋太

 

(歌詞を全部載せると運営さんに削除されそうなので、一部だけ)

 

♪肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた
 肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた

 あのひとなしでは一秒でも生きてはいけないと思ってた
 あの人がくれた冷たさは薬の白さよりもなお寒い

 遠く瞬く光は遥かに私を私を忘れて流れていく流れていく

 (中略)

 肩に降る雨の冷たさはまだ生きろと叫ぶ誰かの声
 肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声

 (以下略)

 

肩に降る雨の冷たさは、どん底に差し込んだ光。

ただしその光はどの道、雨なのですが。

それでも、我に返らせた刺激です。

薬とは、睡眠薬でしょうか…

 

しかし。

もし「遠く瞬く光」が、集中治療室の心電図モニターだったとしたら。

風景はにわかに緊迫の度合いを増してきます。

 

心電図波形が「私を忘れて流れていく」…

この歌の風景は、臨死の一瞬なのです。

わずかに生のほうへ触れた瞬間なのです。

生きろと叫ぶ誰かの声が聞こえるのです。

誰かが呼び掛けてくれているのでしょうか。あるいは記憶の中の誰かの声なのでしょうか。

 

また、雨の音とは、自分の血流の音なのかもしれません。

 

経済人類学者で大学教授で元国会議員の栗本慎一郎は、自身の脳梗塞の時の体験を語っておられます。病床の耳元で、シャッシャッという音に悩まされていたが、自身の視床下部の血流の音であったらしいとのことです。

この音が途切れたら、自分は死ぬのだ。

脳梗塞という自分の状態をきっちり認識されていたが故の、具体的ですらある恐怖でありました。

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死に臨んで、生きたいという意思が現れた時、死は例えようもない恐怖でありましょう。最後の最大の唯一の望みを断ち切るもの。それが大いなる、死。

 

臨死の歌だったとは。

中島みゆきさんを誤解していました(笑)。

いや多分、私の妄想でしょうね。