節目のクリエーター、その系譜
どうも。TETSUYAです。
うちのジュニアが厚労省だか環境省だかなんだかのアート賞を受賞してました。
文化祭で学内チャリティーアニメを作って寄付を集めてました。
中学の卒業文集の表紙も頼まれてました。
そうそう、演劇部のポスターも描いてました。
その他、なんか仕事を受けてくるので、「もう金をとれ」と半ば本気で言ってます。
ジュニアの活躍をみて、思い出したことがあるのです。
私も、高校の卒業記念品のマグカップのデザイン及びイラストを担当したのです。
大学では、クラブの学年トレーナーのデザインとイラストを担当しました。また、部内新聞の編集長でした。
2回目の脱サラ学生生活でも、生協の学内向け雑誌のライターと挿絵画家やってました。
同窓会雑誌でもライターと挿絵画家やってました。
さらに、仕事で役に立ったことといえば、職場での新入職員勧誘パンフレットや、患者さん向けパンフレットも私が作っていました。
(さすがに今はプロがやってます)
そしてリハ病棟立ち上げの際には、他の病院向け報告書でも、私のデザインとイラストが採用されていたことでしょうか。
自分ではそれが特別なことだと思っていなかったから。
息をするように、絵をかいていたから。
ジュニアが次々表彰・評価されるようになって、「ああ、英才教育したんだ」と妙に納得しています。
元患者さんのために書いたポートレート(没版)です。
デジタルってまだ慣れてない。
ジュニアは、いつの間にか私のペンタブ(板タブ)も液タブも、かなり使いこなしています。