TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

原発の価格に含まれない廃棄物処理費用(人命を買いたたく)

0)今日は原発と人権の考察。

前回、EVは電池の製造と廃棄に問題があることと、ガソリン車に完全優位に立つためには原発とのセットが必須であることを示唆した。

原料調達・廃棄処理、いずれにも人権の問題がある。

 

この国は…いや世界は、廃棄物処理の費用をいまだに安く見積もりすぎている

資源とごみ処理の値付けを変えなければいけない。

 

いまだに人間が地表の彩りでしかなかった時代の、安い資源価格と低価格な廃棄物処理費用で済まそうとしている。

「火刑台上のジャンヌ・ダルク」/フランソワ・ニコラ・シフラール

いまや人間の出す廃棄物は生態系を壊して回るほどのレベルであることを自覚しよう。

廃棄物処理には手間と技術、そう、エネルギーが大量に、必要なのだ。

これを正しく費用換算しよう。

 

1)廃棄処理費用

CO2を問題にするならば、エネルギーロスしてもCO2を発生させない発電が求められる。

火力発電以外で電気をどうやって作るか。

水力・太陽光には物理的限界がある。

風力は不安定。

切り札は原発なのか!?

 

 

大前提として、核のゴミはただのゴミではない。

 

日本ではいまだ原子力発電の放射性廃棄物の最終処分ができないではないか。

もっとも世界でそれに「成功している」国などありはしない。

最終処分が始まった国は、まだないのだ。

値段のつけようがないのだ。

 

 


そう。

現在、国は最終処分までの廃棄費用をカウントせずコスト試算を発表している。

 

 

 

「家電リサイクル料金」をご存じだろうか(ご存じですよね)。

テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機・乾燥機は、許可された業者に、リサイクル料金を払って処理を委託するのである。

通常のルートで廃棄できないものは費用をカウントするのが当然である。

原発リサイクル料金は電気料金に後付け!

多分それをちゃんと計算したら、電気料金は跳ね上がるであろう。

オーバーした分は最終的に税金で補填されるのではないか。

 

(違うというならきっちり正直に説明してくださいね)

補助金の原資はどこからでてますか)

(なんだったら中間処理施設・最終処分場決定までの説明会費用とか反対派懐柔のための札束とか、表金裏金灰色金の算定を、文春さんお願いします笑)

 

2)原料費は人間のいのちとくらし

新疆ウイグル自治区の綿花の不買運動は起こっても、ウラン採掘場の悲劇は報道されない。

 


前回の電池の原料の採掘についてもそうだが、ウランも採掘現場で問題が起こっている。目をつぶっていないか?

 

映画「イエロー・ケーキ」をご存じか。

(バレンタインだけに!)

 

採掘してウランを取り出した後には大量の放射性廃棄物が残る。

その危険を現場労働者は知らされていないか、目をつぶらされている。もっとも被害を受けるのは現場の人たちである。

 

また、周囲環境にもそれは漏出している。先住民への被害補償、環境被害の復元に多額の費用が掛かる…はずである。

いや。これは費用ではなく、正しく人権問題なのである。

 

 

(「被爆65周年原水爆禁止世界大会記録集「ニュークリア・レイシズム」より)

「40年代、50年代ごろにウラン坑夫は素手で穴の中で、マスクも何もなし、換気もしないような環境で働いていました。人々が働くすぐそばに汚染した鉱滓が積まれていて、何のカバーもされていませんでした。当時、働いている人に対してマスクをしたり換気が必要だとか、危険なんだということを一切知らせてこなかったわけです。その結果、今日ウラン坑夫の肺ガンの率がウラン鉱山で働かなかった人たちの20倍~30倍というような頻度で出ており、5,000人にものぼるナバホの坑夫たちがガンなどの病気に罹っているという調査があります。

 ある推定によりますと、500人から600人のウラン坑夫がすでに1990年までに亡くなったと言われており、そして2000年までに500人から600人がさらに亡くなると言われています。しかし、ナバホの居留区は非常に医療機関から離れたところにありますので、そのような統計を正確にとるということが非常に難しいのです。
 連邦政府はいまだにきちんとした健康調査を一切やっていません。ですから、私たち活動家とかその状況を懸念する人たちがウラン坑夫あるいは元精錬工の健康調査をやっていますが、連邦政府はほとんどそれを支援してくれません。

 チャーチロックというところで1979年に起こった鉱滓ダムの決壊は、世界で起こった鉱滓が決壊して地域を汚染した最大の事故だったと言われています。その事件により4億5,000万リットルという大量の液体に混ざった汚染物が流れました。政府がその地域の汚染を除去する作業を始めたのはそれから30年も経った2009年になってからです。

 このようにして私たちがどのように核被害者になってきたかということがご理解いただけると思います。子どもたちは汚染した残土のところで遊び、人々はその残土を使って家までつくって家畜を汚染した草で育て、そして川が汚染してその水を飲み家畜も飲みそこで洗濯をしたりもしました。

 核の平和利用と言われますが、見えないところで病気になりそして多くの人々が亡くなっています。これはまさしく核による人種差別です連邦政府「あいつらはインディアンだ。放っとけ。死んでしまっても構わないんだ」とそんな扱いをしてきました。」

 

すなわち、原料費は人間の命と暮らしである

搾取にもほどがある。

原発に限らないのだが。

産品を販売して儲けるのならば、原料費も正しく値付けすべきであろう。

 


このように、人権に配慮して安全性を高めて、利益還元や人的補償環境保護などに費用をかけて採掘したら、原発の料金は天文学的数字になるはずである。

 

3)人命エネルギー換算

なぜ労働者の健康被害、児童労働、先住民の被害をカウントしないか。

人一人の一生を支えるエネルギー量を軽く見積もっているからだ。

「人が人であること」すなわち、人権を認める態度があるならば、そんなことはできはしない。

 

そして、征服者たちは、先住民族の人権を認めようとしないから、対価の支払いも補償も良心の呵責なくさぼるのである。

 

 

 

日本も人権感覚が低いため、インフラ維持、集団ルール維持のために、個人を犠牲にし、個人の時間やエネルギーを軽く押しつぶすことが見受けられる。

犠牲者が増え続け、害を指摘する論文が続出し、世界中で反発や訴訟まで起こっているm-RNAワクチンを、未だ奨励する国など他にない*。

*と思ったら、オーストラリアが接種を再開した。

強調しておくが、これは未だ治験中であり、基本的に救済はない。

 

 

このように、この国にも、人命を公共の名(都合の良い時だけ)のもとに搾取する人たちがおり、人間や資源の本当の資産価値や、人を人として扱う費用を、換算せずに人間に甘えることは、まわりまわって国全体の力を縮小・荒廃させてきた。

人民は弱し官吏は強し/星新一新潮文庫

「安い日本」と言われて、怒っている場合ではない。

 

 

ところで、複式簿記では、将来の費用や将来の収益、あるいは資産と負債を、忘れずに一つの表で計算することができる。

せっかく「複式簿記」というツールを持っているのだから、ごまかし価格でない廃棄処理を記入した複式簿記を付けてみよう。

ぜひ、人間の費用と価値を「エネルギー換算」でしてほしい。

 

国力を上げようと思えば「元気な人」を増やさねばならない。

そのためには支援や礼金(支えるエネルギー=費用)を掛けなければならない。しかし、そうすれば、出力(生み出すエネルギー=価値)も増えるであろう。

それが国富である。

 

4)まとめ。

原発が「安い」というのはごまかしが過ぎる。

人類は、人を人としてちゃんと換算しないといけない。そうでない限り、CO2排出削減はできても、SDGsを解決しない。

人間の住める環境は、エネルギー保存則に従って、すり減って終わる。

 

 


というわけで…

SDGs時代も「電力に頼るならば、原発でいいじゃん」ではなく、なにか発想を変えなければならない。人間らしい暮らしの発想に。

 

そもそも「Development」(発展・開発)が正しいGoalであるかどうかも問われねばならないのではないか。

熱に浮かされたように、ただのビジネスツールに全振りする社会にしないで…