TETSUYAの航海

テツガク好きな医療人です。時々イラスト練習中。

症例報告 1.副鼻腔炎と鼻水

実は病気やケガとの付き合いが多い私。

症状がないと忘れていられるのですが(懲りない)、利用者さんたちとお話していると思い出すのです。

症例報告を役立てていただければ幸いです。

 

花粉症

 

19の春。異変が起きました。

鼻水が止まらない。

頭がぼうっとする。ひどい時には頭痛まである。

もう冬も過ぎたというのに、自分はなぜいつまでも風邪をひいているのだろう。

内科でもらった総合感冒薬を飲み続けましたが、症状は治まらず。

治らない風邪。

人生は終わったかと悩みました。

 

知っていればあんなに悩まなかった。。。

今思えば、あれが「花粉症」の始まりでした。

 

ある日、帰省する電車でズビズビやっていると、隣に座ったおばはん中年女性が

「ほれ、使いなよ」

ティッシュを差し出すのです。

持ってるから要りません、というと、「うるさいからだよ!」と切れられました。

 

そんな悲劇もありつつ。

 

鼻をかむだけで、全く耳鼻科にも行かず放置しておりました。

 

鼻茸

 

が、やがて、就職も決まり、髪を切ってきたとき、もう若くないさと…卒業を前にして耳鼻科に行きました。

 


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「手術が必要です」と言われ、仰天しました。

いえ、実はうすうす感じていました…少しは勉強していたのですよ。

 

「お前は鼻が悪くて子供のころから耳鼻科に通っているが、知り合いで鼻茸(はなたけ)ができた人があり、それに似ている。鼻茸かもしれないから、耳鼻科に行きなさい」

と、親からも言われていたし。

 

蓄膿(ちくのう)症・副鼻腔炎

 

副鼻腔という、頭蓋骨にある鼻腔とつながった空洞の中に感染などで炎症が起こると、膿がたまります。

目の周りや頬骨の上などに副鼻腔はあります。

 

副鼻腔

 

出口が炎症を起こし、腫脹しているので、膿が排出されません。

ゆえに蓄膿されるのです。

 

花粉・ハウスダストアレルギーなどで鼻汁が絶えずあると、悪化しやすいです。

炎症もですが、溜まった膿が顔面などを圧迫し、痛みや頭重感を引き起こします。

 

さらに、腫脹した粘膜が鼻腔にまで顔を出すと、ポリープ化し「鼻茸(びじょう・はなたけ)」となるのです。

 

 

もはや私の蓄膿症(副鼻腔炎)は慢性化し、鼻茸は大きかったのでした。

 

切除術は全身麻酔で行いました。

当時の手術は大掛かりで、上唇と歯茎の間、歯肉を切開して行われました。

 

この病院で恐ろしい体験をしました…

一応教授が主治医のようなのですが、担当医はなんと高校の先輩!

まだ研修医でしょうか。

麻酔から覚めて、先輩が私のベッドサイドに立っていました。

そして…

「大丈夫か… すまんな」

とのたもうたのです!

 

え?

なにがあったん?

手術の後、医師に謝られるという、身も凍る体験をしました。

 

 

ちなみに、手術孔から鼻腔にガーゼを詰め込まれておりました…

抜くときにすうっ…と失神しました。

椅子から転げ落ちそうになり、看護師さんに抱き留められました。

感謝…というか、今まで誰も失神しなかったのだろうか。

私が初めてだったのだろうか。

 

そしてその穴がふさがるまでは、歯を磨いてぶくぶくうがいをしようとすると、鼻に水が上がってくるので往生しました。

今は内視鏡で手術できるそうですね。あの苦労は何だったのか。

 

ちなみに、手術から何年かのち、社会人合唱団に入団したのですが、穴があったところは感覚神経麻痺が残りました。

上唇が思ったように開かないので、微妙な表情になることがあるのです。

 

慢性副鼻腔炎

 

あんな大変な手術をしたのだからと、もう治ったつもりでした。

しかし!

 

少々ストレスを抱えて睡眠時間も少ないことがあり、鼻水と熱感、頭重感と額の絞扼感などの症状がありました…

鼻水の色も黄色、黄緑色。

これは感染の兆候なのです…覚えておこう!

 

なぜか耳鼻科に行ったとき。

医師に副鼻腔炎ですね」と言われたときの驚きと言ったら!

 

「再発するんですか!?」

と思わず聞くと、「癖になる人は多いです」と冷たい返事。

 

「また手術ですか!?」

いえいえ、抗生物質で治りました

 

しかし、すでに副鼻腔は私の弱点となっており、その後何度も私を苦しめます。

副鼻腔の内壁が恐らくただれているため、いつ再発してもおかしくないとのご託宣、恐れおののきながら毎日を送っているわけです。

 

早期発見、早期治療

 

だからみなさん、鼻水バカにしちゃいけませんよ!

 

粘っこく、色が濃くなり始めたら赤信号(黄信号ではない)。

 

頭が重くなったり、頭が悪くなったりする前に、耳鼻科へGO!です。

神からの逃走 2

allnightsailor.hatenablog.com

哲学問答です。

実話はほんの一部だけです、ご安心を。

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「父が癌で死んで学校をやめざるを得なくて、仕事もひどいのしかなかったから辞めてしまったらもう雇ってくれるところもなくて… これは私の試練なのか」

 

「そうです。 神は乗り越えられる試練しか与えない」(「コリント人への第一の手紙 第10章 13節」より)

 

「へっ、じゃあ拗ねてしまった私は神の試しに負けたんだね」

 

「いいえ、あなたは生きていますから勝ち残りました」

 

「じゃあ死んだ奴は負けかい」

 

「いいえ、死者の魂は救われました」

 

「死んじまったものの声をどうやって知った?」

 

「信じる者は救われる」

 

「言ったもん勝ちだね」

 

「神はすべてを知っています」

 

「じゃあ父がたまたま死ぬことが分かったので私への試練に用意したのか?

 父は私の試練のために神に殺されたのか?

 私に試練を与えるために父を殺したのか?

 たまたま死にそうな父を試練に使ったのか?

 父は神の道具かな?」

 

「お父様が亡くなったことはお気の毒です」

 

「いや、ならば父にとってはどうなんだ? 癌は父自身への試練なのか? 父は乗り越えられなかったのか?」

 

「いいえ…魂は救われました」

 

「そういうのいいから!」

 

「お父上は天に召されました」

 

「答えになってないよ?」

 

「信じる者は救われる」

 

神からの逃走 1

「神の試練」

そもそも

世界には理不尽な事態がある。

 

快不快に関わらず…

 

 

快を理不尽とは呼ばない、おかしなことだ。

その点、東洋には「中庸」を最高の目標とする考えがある。

 

 

さて、敬虔なる民は、不快な理不尽を「神の試練」と称する。

 

虎より猛き苛政も

天変地異の大被害も

諦めて受け入れて立ち上がれるように

このような装置が考え出されたのだろう。

 

それでいいのか?

納得いくのか?

不快をねじ伏せることができるのか?

降臨

ところで

 

疫病や戦争で多くの人が死んでいくのも

 

神の試練なのか?

 

死んだものは

試練に敗れたものか?

生き延びたものは

新世界に選ばれたのか?

神の栄光は生者だけのものか?

 



”神の試練”とは

生者のための

バッファー(緩衝機構)…

栄光を楽しんでよいと。

 

それにしては

生き残った者には

死者に対する贖罪意識が時折みられる。

 

死者は生者に矛盾を突きつけに帰ってくる。

 

死者は生者と同じように、ただ一人前の人生を生きただけだ。

神の試練を待っていたわけではないし、

誰かの試練の引き立て役でもない。

そして生き残ったあなたが手を下したわけではない。

 

死者を勝手に流用しないでほしい。

 

贖罪意識こそ、「神の試練」という装置の失敗ではないか。

 

「神の試練」では結局心の落ち着きがなくなるのだ。

 

「予定説」

キリスト教の最高奥義。

天国へ行ける人はあらかじめ決まっている。

陶工たる神の御心は、土塊(つちくれ)たる人間にはわかろうはずがない。言いなりになるしかない。

 

最後の審判で生者も死者もみんな掘り返して、神があらかじめ決めていた判決「天国か煉獄か」をせーので言い渡すのだ。

 

ジャスティ

今はの際に

「あとで再評価するから地の下で待っていろ」と言われて…

穏やかな気持ちで死ねるのか?

 

自分が天国に向かうのか

煉獄に向かうのか

知らされずに。

 

こんな試練を信者たちはほんとに受け入れているのか?

 

てか教科書(聖書)読んでるのか?

 

「そんな神はいらない」

生きているものにも

死んでいくものにも

安らぎを与えることに失敗し
試練ばかりを与えるような

神などいらない。

 

それは所詮人間が考えたものだろう。

 

本当に神がいるなら

そんなもんじゃないだろう。

ジャンヌ・ダルク